おれの日記

思いつき記録

振り返り&現状報告

5歳のときには、女であるせいで行動や選択を制限されることが嫌だと思っていた。私はサッカーチームに入りたかったし黒いランドセルがほしかった。小学生のとき男の友達に好かれていると分かって髪をばっさり切り男装をはじめた。成長したら女の体になるのエロくね?くらいの気持ちでいた(幼女転生おじさんそのものである)のが打ち砕かれて、女として振る舞おうとしながらも、中学のときはどうして男に生まれなかったのか分からずよく泣いていた。高校に入って現実的な性別適合手術の方法を調べて、色々なものと天秤にかけて、未来を想像して、結局しないことにした(戸籍変更がどうしても必要だった人たちからは疎まれるかもしれないが、私たちはそれぞれ違うし別モノだと考えてほしい)。私の場合は一貫して性別違和が強かったわけではない(性別違和は心身の同一性への意識の強さとほぼ比例するように感じる)し、成長するにつれて性別が重要でないとする価値観を共有した環境を選べるようになったり、期待したよりエロくならなかった自分の身体にそれなりに愛着が湧いたりもした。また仮に私が本当に幼女転生おじさんであったとしても、現世で幼女から少女になり成人女性になるまで積み重ねてきたものを無視して身体までおじさんに戻ろうとするのはナンセンスな気がしてきたのだ。(童貞を自称するのはまだ辞められない。大目に見てほしい。)そもそも人の内面に性別はなく、あるとすればどの性別で生きたいかという意思だと思う。そして自分の性別についての個人的な結論としては、おそらく意識の外にあったというのが正しい。選択を制限することで性別を意識させる外的要因だけが悩みの種だった、というわけだ。今はそれを冷静に俯瞰できるキャパシティを自分が持っていて、ある程度揺るがなくなってきていると思う。まあ最終的には、私はただの成人女性なのである。そう言われるとおおう、だが、意識していないだけで実際はそうであり、同時に意識しないことで不要なものに縛られず幸せに過ごすことができると分かっている。

 

続いて恋愛について、はずかしい😣のであくまで少しだけ言及することにする。以下、能動的恋愛(自分が他者を魅力的に感じる場合)と受動的恋愛(他者から恋愛感情を打ち明けられる場合)に分けて現状報告といこう。

 

能動的恋愛について、筆(フリック入力)が進まないので詳しくはDMで…。

受動的恋愛を上手くできない理由はこうだ。まず私は「女として」生きているつもりは毛頭無く(カウンセラーによれば私は凡そ自閉症らしいので、性別という社会通年を理解するのは難しいのだろう。皆様の言語を介した説明は歓迎します)、「女として」好かれることは私にとって存在しない自らの性質を理由に好かれていることに他ならないのであって、それゆえ相手の感情を見当違いや印象の押しつけとして理解(脱線するが、自分の虚像を愛されること≒自分自身についての解釈違いを拒否することは俗に言う蛙化現象と同様だと考えている)せざるを得ない。端的に言うと、「(恋愛的に)好きです!」と言われて「なるほど!いいじゃん!」とならずオートマチックに「それは勘違いですよ」と言いたくなってしまう。今までは男性に好かれることに抵抗があり、その理由として元々私の性的な興味は女性に対してのみ向いていて、男性を対象としたエロの感性はせいぜい10歳以降に後天的に習得したものである(入りはBLである。BLはおすすめである。クソデカ主語である)からだと考えていた。しかし数ヶ月間レズビアン向けのマッチングサービスを利用したところ上記の結論に至った。おそらく性別抜きの好意であれば受け入れられる可能性が高いのだが、それを恋愛と呼ぶかどうかは個人の解釈に委ねることになりそうだ。

 

ヨフカシ!!